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天職と思えたアメリカでの言語療法の仕事


落ち着きも根気も無いわたしは若い頃から転職を重ね、いろんな職種を経験できたのは面白かったとも言えるけれど、何やってんだろわたし?って感じもしていた。

ところが、家族でアメリカに移住して(当時夫だった人の現地採用に伴い)、諸事情から必要に迫られて働くことになり、「これがわたしにとっての天職だ!」と思える仕事に出会えたのである。40代後半での華麗なる!?転身であった。

SLP=Speech-Language Pathologist(直訳すれば言語病理士)。それが、わたしにとっての天職であった(過去形なのは、資格制度の違いにより日本では言語療法ができなかったため。注:大学に編入して必要な単位・時間数を満たせば国家試験受験資格が得られるが、わたしの場合それができない状況にあったので)。

SLPとして働くためには、(1)大学院の修士課程で言語病理学(Speech-Language Pathology, Communication Disordersなど、大学院によって名称が異なる)を修め、(2)国の認定試験(PRAXIS)に合格し、(3)9か月間の見習い期間(Clinical Fellowship Year)を経て、正式な資格(CCC-SLP)の認定を受ける必要がある。

思えば長い道のりだった。

業務内容は日本の言語聴覚士と共通するものが多い。おおざっぱにいえば、小児の言語発達支援と成人の言語・嚥下・音声リハビリだが、その内容は多岐にわたる。

たとえば、わたしが実際に関わったケースとしては:

小児セラピーは、言葉の発達が遅れている子への支援、構音障害、発達障害のある子のコミュニケーション支援、摂食障害セラピーなど。成人リハビリでは、失語症、構音障害、発語失行、高次脳機能障害、嚥下障害、音声障害など。

勤務先も実にさまざまで、わたしは乳幼児向け早期介入プログラム、スピーチクリニック、高度看護施設、リハビリ病院、家庭訪問セラピー(日本でいう訪問リハビリ)だったが、一番やり甲斐があったのは家庭訪問セラピー(成人)だった。というのも、セラピーを必要とする人の自宅または入居施設でセラピーをすることで、その人の素顔(普段の生活の)が見えてくるし、その人を支える家族やスタッフと話をすることもできるので、全体的な関わり方ができるから。

もう一つ、面白かった勤労形態がある。それは、派遣スタッフ「トラベラー」。アメリカには全国各地にスタッフを派遣する人材派遣会社があり、通称"traveler"は、医療分野で働く看護師やセラピストー理学療法士(PT)、作業療法士(OT)、SLPたちの間で人気がある。

業務内容は地元(通勤可能な地域)の施設に派遣される場合とほぼ同じだが、トラベラーの場合、原則13週間が派遣の期間となる。施設側とセラピストの双方が合意すれば、最長26週間まで延長できる。

わたしが今まで一緒に働いたセラピストにはトラベラーとして働き続けている人が何人かいたが、みんな旅行好きで13週ごとに違う州へ派遣を希望している人も少なくなかった。なかにはニューヨーク、フロリダ、テキサス、ニューメキシコ、カリフォルニアと、派遣の仕事でアメリカ横断を実現した遊牧民的な人もいた 笑。

わたしはこのトラベラーとしての働き方が性に合っていた。テキサスで2回、カリフォルニアで1回トラベラーとして働いたが、どれも非常に刺激的な経験だった。

それでもわたしに「言語療法の仕事こそ天職!」と思わせた最大の理由は、わたしの人生に大きな影響を与えてくれた患者さんとその家族との出会いである。言語療法で関わったほとんどの人達が、英語が母国語でないわたしに対して偏見も持たず、むしろ移民であるわたしの存在に興味を示してくれて、中には特別な結びつきを感じるような人もいた。

「外見が似ているわけではないのに、何故か遠く離れて暮らす娘を思い出させてくれるんだよ」と言って、わたしを優しく見守ってくださった高齢の紳士。

重度の失語症に苦しむ大学教授のタイ人女性は、母国語でない英語で言語療法をするわたしに親近感を覚えてくださり、毎回セラピーを楽しみにしてくださった。彼女とは移民同士通じ合うものがあった。

嚥下リハビリ効果が表れて念願だった普通食が摂れるようになった患者さんとその家族が、お礼としてリハビリチームに大量のお菓子を届けてくださった。

もちろん、嬉しいことや良いことだけでなく、現実の厳しさを突きつけられることもあった。

患者さん本人はもっと良くなりたい、セラピーを続けたい、と望んでいても、evidence based practice(根拠に基づく実践)においてはこれ以上セラピー効果が期待できないと判断された場合、保険は使えなくなり、全額自費(かなりの高額)となる。それによって不本意ながらセラピーを打ち切りにしたケースも少なくなかった。

また、不治の病にかかっている患者さんが、一切の延命治療を拒否する書類に署名することを決め、それに反対するお子さんと口論になった場面に立ち会ったこともあった。どちらの気持ちも分かるだけに辛かった。

残念ながら病状が悪化して亡くなってしまった患者さんも何人かいた。悲しい別れであった。

その他にも数えきれないほどのエピソードがあり、それらは全てわたしの宝物だ。

忘れてはいけないのが、PTやOTとチームを組んでのセラピー。それぞれの強みが相乗効果となって予想以上に回復・改善した患者さんもいた。チームで一人の患者さんをサポートする醍醐味。患者さんとチーム全員とで喜びを分かち合う。そうした経験を通じて、とても親しくなったPTやOTもいた。

写真1

アメリカのSLP資格認定証。日本では通用しないけれど、大切な思い出として記念に保管してある。

写真2

SLPの仕事を始めてから私服よりスクラブのほうが好きになり、5セットほど購入して毎日違うスクラブを着るのが楽しみだった。(16年前のわたし、若かったなあ 笑。)

写真3

テキサスの田舎町でトラベラーとして働いた時に宿泊したモーテルの様子。部屋に飾られたテキサス州旗にも、朝食に出るテキサス州の形をしたワッフルにも、テキサス愛があふれている 笑。