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謎に満ちたAI生成音楽と著作権

70年代~90年代の洋楽が大好きで、よくYouTubeで聴いている。特定のミュージシャンのだけでなく、ヒット曲集のようなものも聴く。

 

ある日、下にリンクしたビデオ"CLASSIC SOFT ROCK LOVE SONGS"を視聴していたとき、初めて聴く曲に強く心を動かされた。ところが、映像には歌のタイトルもミュージシャン名も記されていないので分からない。パワフルな歌声の女性歌手。誰だろう?↓のビデオではライオネル・リッチーの"Stuck On You"の後に収録されているもので、29分17秒あたりから始まる。

youtu.be

物悲しく胸が締め付けられるようなラブソング。気になって仕方がないので頑張って鼻歌検索機能で調べたら、「該当なし」。え~、わたしの歌が下手すぎ?

 

そこで、今度は数フレーズ歌詞をキーワードにして、この歌詞の歌の題名は?とGeminiに聴いたところ、複数の候補を挙げてくれたがどれも違う。さらにGoogle 検索でも同様にして歌詞や歌の雰囲気、女性歌手の声の特徴などを詳しく説明したところ、このような返答があった。

 

『80年代のレコード時代のバラードそのもののようなサウンドを再現した、AI生成による楽曲です。こうした大規模なミックス動画の制作者は、哀愁を帯びた女性ボーカルのバラードを挿入することで、切なくスローで情緒的な雰囲気を演出することがよくあります。』

 

なんと、AI生成音楽だったとは!?!?興味のある方はぜひお聴きください。YouTube映像を勝手に切り取るのはまずいだろうと思い、PCでビデオを再生したものを携帯で録画(音声のみ)したものです。

youtu.be

哀愁を帯びたメロディと歌声。これがAIによるものなのか・・・。まさに80年代の洋楽の雰囲気だ。同時に、昭和の歌謡曲のように聴こえる部分もある。しかし、歌詞はいろんなラブソングの歌詞の寄せ集めのようでべたな感じがする。くどいというか、似たようなメッセージを繰り返している。

 

順不同でいくつかのフレーズを並べてみた。

 

I see the tears you are hiding in the shadows of your eyes.

(瞳の陰に隠されたあなたの涙が見える)

 

Every word you are holding feels like another goodbye.

(あなたの抱えている言葉の一つ一つが、新たな別れを告げているように思える)

 

We were dancing in the fire, thiking love would never end.

(わたしたちは炎の中で踊っていた、愛は決して終わることがないと思いながら)

 

In the silence between us, I still hear your heart.

(わたしたちの間の静寂に包まれ、わたしはいまもあなたの心に耳を傾けている)

 

So follow your heart tonight when all is falling apart.

(だからすべてが崩れてしまいそうな今夜、心の赴くままに)

 

Love isn't forever if it's fading away.

(薄れていく愛なら、永遠のものではない)

 

う~ん、言われてみれば確かにAIだわ。本物のラブソングを書ける人はこんな歌詞にはしないような気がする。

 

気になるのは、この音楽の著作権のことだ。たとえば、わたしが気に入ったAI生成音楽をほかの人に紹介したいとき、どう説明すればいいのだろう。歌の題名はもちろん、作詞作曲が誰かも分からない。たまたまYouTubeで聴いたミュージックビデオに入ってたよ、としか言いようがない。

 

AI生成音楽は、データとして利用できる無数の既存の歌・楽曲をもとにしているわけだから、当然「あれ、このフレーズどこかで聴いたことがあるような」となる。でも、人間による盗作ではないから、誰に責任を求めることができるのだろう。ちょうど先日友達とAI生成文章と著作権について話し合ったところだったので、音楽についても著作権は問題になるんじゃないか?と思った。

 

この問題については、以前読んだ『対話型AIの哲学 「書くこと」に未来はあるか?』に「音楽、映画、文学において、既存の作品の『カット・アンド・ペースト』によるコラージュやリミックスは、新たにオリジナルな作品を作るための手法として広く認められている。」(62ページ)という記述がある。なるほど~。

 

著作権は問われないにしても、AI生成音楽は題名や作詞・作曲家が不明なので、もう一度聴きたいと思っても検索の仕方が分からない。それは困る。結局、わたしがやったようにその歌を録音・録画して保存しておくしかないのかな。

 

みなさんはどう思われますか?

 

9月末に見かけたムラサキツユクサ。ツユクサって青いものとばかり思っていたので、紫色のもあるんだと嬉しくなった。紫はわたしの好きな色なので。

 

メタボ予備軍にならないために食生活を変える!

お腹周りが太くなったせいで着られなくなった秋物の服があり困ったなあと思っていたら、9月末に受けた健診でそれが数字となってわたしの目の前に突きつけられてしまった!

 

去年の健診結果と比べると、体重は3キロ増(自分としては5キロくらい増えたような感じがしていたので、3キロだけでほっとした)、腹囲(内臓脂肪)は4センチ増!!!うわ、まずいはこれは。あと数センチで基準値を超えるところまできちゃってる💦。

 

このまま突き進んだら来年はメタボリックシンドローム(内臓脂肪症候群)に該当しそうな勢い。定期的に運動をしているのに太っちゃうのは食事に問題ありってことだよね、やっぱり。

 

服が着られなくなるのも困るが、それ以上に健康が大事なので、内臓脂肪を減らすため真剣に食生活改善に取り組むことにした。図書館で本を借りて読んだりオンラインで情報を収集して、わたしに出来そうな改善策から始めてみた。

 

朝食はオートミールか全粒粉パンにする。オートミールは風味が苦手で避けてきたが、フォローしているブロガーさんの記事や娘(オートミール愛用家)の話を参考に、なんとか美味しく無くなく(二重否定 笑)食べられている。

昼だけは好きな物を自由に。そうしないとストレスがたまっちゃうから。パスタでもラーメンでも天ぷらでもOK。大好きなパスタはどうしても止められない。デザートもケーキ1つならOK(2つはだめよ→自分)。

 

おやつは、おなかが空いてたまらないときや運動量多めの日にはOK。こちらは玄米パウダーに豆腐を混ぜて作ったパンケーキ。バターは入れず、焼くときはエキストラバージンオリーブオイルで。見た目は悪いけど美味しかったよ。

夜は一汁一菜 主食は雑穀米

一汁一菜とは、ご飯(主食)に、汁物1品とおかず(惣菜)1品を組み合わせた、日本古来の質素な食事の基本スタイル、ということで、日本人の体に合った食事だと思うので、これにする。今は↓を白米に混ぜて炊いて食べている。

夕べの一汁一菜。雑穀米、ツナときゅうりの和え物、オニオンスープ。

雑穀米は白米よりお腹にずっしりくる感じがする。まずは1か月頑張って続けてどのくらい腹囲を減らせるか!

 

それから、もしかしたら新しいスポーツに挑戦するかもしれない。今まで通り、マシンピラティスと水泳とハイキングは継続して、それに加えて昨日見学に行って面白そうだと思ったものも。正式に入会したらご報告するのでお楽しみに~。

寄居町の低山でリハビリハイキング

8月中旬に左膝を「変形性膝関節症」と診断されて以来、マシンピラティスと水泳を中心にリハビリに取り組んできた。雨の日は痛みが出るが、普段はわずかな違和感を覚える程度ですんでいる。そろそろ低山ハイキングを再開できるかも、と期待に胸が膨らむ。

 

ということで、青空が広がり夏の暑さが戻った10月最初の日に、QPさんの車に乗ってまずは寄居町の登谷山へ。中腹の駐車場に車を停めて、今年の5月にマグシグサの群生を見つけた場所を目指して歩く。緩やかな上り坂を15分ほど歩いたが、一本も見つからない!!

 

道路脇の草はみなきれいに刈られてしまっている。何年か前もそういうことあったっけな~。狭い舗装道路なので、伸びすぎて車の走行の邪魔になる草は刈るんだそうだ。マムシグサも一緒に処分されてしまっていた、悲しい。

 

中腹の景色を堪能する。いつもながら清々しい風景だ。武甲山が見える(4倍ズームイン)。

こちらは先週秩父市内から大きく見えた二子山(4倍ズームイン)。

憧れの両神山も見えた!(4倍ズームイン)

登谷山へ来たよ~(でも歩いたのはちょっとだけだよ)の記念写真。

次は同じく寄居町の低山、鐘撞堂山へ。この山はリハビリハイキングに最適な距離と高低差だ(標高330メートル)。両膝に膝サポーターを着けて歩く。痛みもなく順調に登っていったが、最後の階段が曲者!無理せずゆっくり上がっていく。

階段を上りきってへろへろになった情けない姿を、先に頂上に着いていたQPさんに撮られてしまった。

鐘撞堂山だから鐘を撞かなくちゃね。

展望台からの眺望は木に遮られてあまりよくない。

展望台の下から見える景色は良いよ!

登りは比較的順調に歩いて40分で頂上へ。下りは階段さえ気を付ければ楽勝だね、と余裕が出て来て、QPさんとおしゃべりに夢中になっているうちに、分岐点で進む道を間違えてしまったのだが、それに気づいたのはしばらく歩いてからだった!!!

 

山頂から7~8分ほど下りたところにあるこちらの分岐点、わたし達は「大正池」方面に行かなければいけないのに(車を停めたところ)、「円良田湖(つぶらたこ)」の方に進んでしまったのだ~。実は同じ間違いを以前にも一度やったことあるんだな。

だけどだけど!!!!!登りのルート(大正池から山頂へ)にはマムシグサは見つからなかったのに、こちらの間違えたルートは道沿いに10本ほど生えていたんだよ!!嬉しくて夢中で写真を撮った。怪我の功名だね!!あ、マムに興味のない人や苦手な人は遠慮なくスルーしてくださいね。

まだ小さい粒がいっぱいで、3ヶ所だけ大きい粒になっている。

こちらは小さい粒に混じって、ところどころ大きい粒が。面白いね、マムシグサの実ってこんなふうに粒の大きさが変わっていくんだね。

おや、倒れかかっているよ。

こちらは3本仲良く。といっても、右上のは誰か(何か)に引っこ抜かれたのか倒れていた。

これが一番大きかった。丈も高くて1メートル以上あった。粒がつやつやしていてきれい。

まだどれも緑一色、赤に熟し始めるのはもう少し先かな~。

 

もう一つ道を間違えてラッキーだったのは、こちらのカエンタケが見られたこと!猛毒だけどユニークな形が魅力的。やっぱり怪我の功名だよね(と強調しておこう 笑)。

円良田湖という案内板を見て道を間違えたことに気づき、分岐点まで引き返す。その時点で約50分経過。結局(休憩時間を除いて)全行程約1時間50分歩いた。車を停めたところに辿り着いたのは午後2時半。おなかが空き過ぎて辛い 笑。

午後2時を過ぎると、このあたりは日が射さなくなって暗く感じる(写真では明るく見えるが、実際にはもっと暗くて夕方のような感じだった)。

QPさんお疲れ様でした。わたしも疲れたけれど、左膝の良いリハビリになったし(痛みはほとんど無し!)、低山ハイキング再開に向けて自信がついたし、何より道を間違えたことでマムシグサの実が見られたから結果オーライってことで 笑。

 

おまけの画像:

最初にお断りしておきます。こちらは爬虫類が苦手な人は絶対見ないほうがいい画像です。

 

登谷山を歩いているとき、道路の真ん中にくねくねしたものが。木の枝かな?と思って近寄ったら、蛇さんでした!QPさんによればアオダイショウだそう。わたし達の足音に驚いて、するするっと山のほうへと登っていった。

もう一枚おまけの画像:こちらは空の雲(くも)と蜘蛛の巣の蜘蛛(くも)が仲良く一緒に写っているよ。

 

2024年と2025年の9月の青空

今日も朝から雨。今年の9月は青空が見られたのはいったい何日あっただろう?と思うくらい雨が異常に多い。Bear Valleyの降水量を気象庁のデータで調べてみた。↓

気象庁|過去の気象データ検索

 

それによると、今月は28日までの合計で350.5mm!!!ちなみに去年(2025年)は149mmで、おととし(2024年)は46.5mmだった。去年の2倍以上、おととしの7倍以上の降水量だ!!!!!!!!!!

 

雨が苦手なのは外遊びが出来ないという理由だけでなく、体調が悪くなるから。いわゆる天気痛(気象病)なんだと思う、自己診断だけど。わたしの場合頭痛はあまりないが、軽いめまいとだるさが辛い。息苦しさも感じるし、身体の節々も痛くなる。自律神経の調子が狂った時の典型的な症状だ。

 

過去の写真を見返していたら、気象庁のデータ通り2024年の9月は青空の広がる日が多かった。気持ちを盛り上げるために青空写真を集めてみた。

 

2024年

9月5日 榛名湖

9月5日 榛名神社の近くにて

9月12日 寄居町登谷山の中腹にて

9月15日 小川町仙元山の展望台から

9月20日 寄居町二本木峠にて

9月23日 熊谷スポーツ文化公園にて

2025年はやはり統計通り、2024年よりは青空の日が少なかったが、今年よりはましだった。

 

9月6日 荒川土手から望む夕日(青空ではないけれど夕日がきれいだったので)

9月29日 高崎市鼻高展望花の丘の近くにて

9月29日 鼻高展望花の丘

9月29日 鼻高展望花の丘

9月30日 熊谷市星渓園にて

10月は晴れの日が増えて外遊びが楽しめますように!

秩父札所12番野坂寺、28番橋立堂、橋立鍾乳洞

大好きな秩父。でもBear Valleyからはちょっと遠い。電車(秩父鉄道)でも車でも1時間半前後かかる。だから、それほど頻繁には行けないけれど、行けば必ず心弾む時間が過ごせる。

 

今回は今まで行ったことのない札所12番野坂寺(わたしの提案)と、今年の1月に28番橋立堂に参拝したとき閉鎖中で入れなかった橋立鍾乳洞(QPさんの提案)へ行くことにした。ちなみに、鍾乳洞が開いているのは3月1日~12月上旬で冬季は閉鎖するので、ご注意ください。

 

まずは12番野坂寺へ。このお寺の見どころは、境内のあちらこちらにある見事な彫刻や木像・銅像だ。仏教美術をじっくり鑑賞しながら歩く。

 

まずは山門の内部を見ると、

真っ先に目につくのがあずかり観音。真正面を向いている(中央)のは、「病気・痛み」を預かってくれる観音様。病気と痛みを抱えているわたしは手を合わせてしっかりお祈りした。

向かって右側は「怒り・腹立ち」を預かってくれる観音様。それにより参拝者は平常心をとりもどすことができる。それにしても憤怒の表情が怖い・・・。

向かって左側の「煩い・悩み」を預かってくれる観音様。それによって参拝者はやすらぎの心が得られる。確かに悩み多き表情をしている。

山門の内部の右側には怪力柳生の牛とそれに乗った観音様(十牛観音)の像がある。

この牛は「怪力柳生の牛」で、昭和初期から戦後にかけて、米、麦、薪や炭を引いて芦ヶ久保ー横瀬ー秩父間を往復して大活躍した実在の牛だそうである。普通の牛の3倍を超す荷車を引く怪力牛で、気性が大変荒かったという。

 

山門の内部の向かって左には、真ん中に山の神、山の神の真後ろに雨の神、左に風神、右に雷神が並ぶ。どの神様も迫力ある顔をしている。

こちらは手水舎の観音様。

広い境内を歩くと、さらに面白い像や碑が目につく。こちらはおそうじ小僧。お寺の庭を綺麗に掃除してくれてありがとう。

こちらは、ん?何の説明もないが、どうみてもだるま。

と思ったら!!!帰宅してネット検索したところ、稲村坦元先生文化功労碑と分かった。だるまだなんて、失礼なことを言ってしまった・・・。稲村坦元氏は、仏教史学者・文化財保護推進者で埼玉県の文化財行政にも多大な功績を残した方である。

 

こちらはやすらぎ観音。柔和な表情に心が安らぐ。

本堂・観音堂は明治39年(1906年)に焼失し、昭和49年(1974年)に焼失する前の姿に再建された。

龍の彫刻が見事だ!「拝向の3頭の巻き龍」とあるが、2頭しか見えないよ。どこどこ?と探したら、やっと見つけた3頭目。みなさんは3頭みつかりましたか?正面ではなく斜め前から撮ったので分かりにくいのかも。

本堂にあるふれあい観音。ちょっとふくよかな優しいお母さんのような雰囲気だ。

わたしが一番楽しみにしていたのが、御手綱(おてづな)。12年に1度、午年総開帳のときにのみ体験できるこの御手綱は、各札所に設けられた祈願塔(角塔婆)などから本尊へと結ばれており、触れることで直接御本尊に触れたのと同じ深いご利益やご縁をいただけるとされている。

 

今回触れなければ次は12年後!?そんな悠長なこと言ってられないわ、としっかり御手綱を握った。野坂寺の本尊は聖観世音菩薩。

こちらは全体像が分かる写真。祈願塔は高さ7〜8メートルほどある。

野坂寺から28番橋立堂までは車で10分。今年の1月に参拝した橋立堂。背後の石灰岩の岩壁が大迫力だ。

本堂にお参りする。

 

本堂脇から山並みを望む。

さて、前回入れなかった橋立鍾乳洞を見学するとしよう。大人1人300円。残念ながら鍾乳洞内は写真撮影不可。ということで、内部がどうであったかみなさんにお見せ出来ず残念だが、いわゆる有名な観光地である大規模の鍾乳洞に比べ、規模ははるかに小さく、腰をかがめて歩かないと頭をぶつけてしまうほど低く狭いところを歩きながら見学する。足元は濡れているので滑らないよう用心しながら。蝙蝠も数羽飛んでいてドキッとした。それでも、ちょっとした冒険心は満たされるので、橋立堂にお参りしたら鍾乳洞も見学してほしいと思う。

 

帰り、車の中から見えたぽこぽこと2つくっついたように見える山。秩父鉄道御花畑駅の近くから撮った。この山をわたしは「二子山」だと思い込んでいて(山頂が2つ並んでいるので)、今までのハイキング記事にもこのシルエットが見えるたび「二子山」と書いているが、本当にそれで合っているのかな。

秩父市内からこんなにはっきり見えるということは、秩父の山かなあ。この山の名前をご存じの方、教えてくださると嬉しいです。

 

ちょっと遅めのランチを上長瀞駅近くの文吉蕎麦 もみの木で。野菜天ぷらとざるそばをくるみ汁で食べた。くるみ汁がとても美味しい!

野菜天ぷらはもちろん美味しかったが、とりわけ「ハナビラタケ」というきのこの天ぷらが絶品であった!こりこり弾力性ときのこ独特の風味があり、ああなんて美味しいんだろう!と感激した。かじってみると中はこんな感じ。

今回はあまり歩かなかった(すべて合わせてもせいぜい1時間弱かな?)ので左膝がどこまで改善しているか確認できなかったが、次回はQPさんが何度か歩いた低山(かな~り低いらしい)をハイキングする予定なので、ちょっと不安だけどかなり楽しみだ!早く山歩きを再開したい!

悲しい海の記憶を語る小説を読んで

2日前に図書館で借りた2冊、読み始めたら止まらなくなり、一気に続けて読了した。内容を知らずに海が舞台の物語だろうと想像して借りたのだが、そこにはものすごく重いものが綴られていた。どちらも、2011年3月11日の東関東大震災の傷跡をテーマにしたものであった。

『ムーンナイト・ダイバー』は、津波によって行方不明になっている妻を探し続けている人に依頼され、海に沈んだ町のあたりに潜って、遺留品を探して持ち帰る作業をする船乗りとダイバーの話だ。それは放射能汚染により立ち入り禁止となった海域で、彼らは命の危険をおかしながら作業を続けている。

 

配偶者と死に別れることの、胸を引き裂かれるような悲しみ。遺体が見つからないだけに、かえって心が強く揺れ動く。もしかしたらどこかで生きているのではないか、という一縷の望みにかけたくなると同時に、これだけ探しても見つからないのはやはり・・・という諦めの気持ち。

 

『やがて海へと届く』は、東日本大震災前後の20代の若者の心模様を描いている。主人公の女性は、ぷつりと消息を絶った親友のことが忘れられず、何度も彼女の夢を見る。親友は、息抜きに一人旅に行ってくると、同棲していた恋人に告げて出かけた、目的地は知らせずに。その翌日、東北地方を津波が襲い、親友は行方不明のまま3年が経った。親友の恋人は彼女を亡くなったものと考えて遺品を処分しようとするが、主人公はそれに同意できず強く反発する。

 

どちらも、愛する人の姿(遺体)を確認できないまま、亡くなったことを受け入れることの難しさを描写しているが、それは想像を絶する心の動きだろう。そこにその人が亡くなった証があれば、その事実を認めざるを得ない。それだって表現しがたい悲しみに襲われるのに、生死が分からないまま死別したことにするのは、さらに納得のいかない、むごいことにちがいない。

 

実は、今までにも何冊か、東日本大震災をテーマにした小説を読んだ。そのたびわたしは複雑な気持ちになり、読後感を書けずにいた。それは、震災当時、わたしは日本にいなかったからだ。震災の残酷さを遠くアメリカから傍観していたわたしが、震災を経験した人々に寄り添える自信がなかったから。

 

今回は震災から15年経ったこと、さらに2週間近く前にアメリカ同時多発テロ事件25周年を迎えたこともあり、ある意味自分の中でも区切りがついたのでブログ記事にしようと思った。

 

なぜここでアメリカの同時多発テロの話を出すのか?と思われるかもしれない。それは、わたし達は当時アメリカのテキサス州に住んでいたからだ。NYとは距離はあったが、連日生々しい映像をテレビのニュースで見て、さまざまな情報が飛び交い、友人と会うたび同時多発テロの話になるという状況がずっと続いていた。それなのに、日本の友人や知人には、この緊迫した状況が理解してもらえず、温度差を痛感した。

 

それが、東関東大震災では逆の立場になった。わたしには日本に両親と娘、友人や知人がいる。その人達から話は聞いていたし、アメリカのテレビでも津波の生々しい映像や福島原発事故の報道も見た。それでも、わたしはその揺れを自分の体で感じなかったし、放射能漏れの恐怖を味わうこともなかった。それがとても辛かった。

 

でも今は違う。どこにいたとしても、人々の思いに寄り添うことはできる。実際、わたし達は遠い国で起きている紛争や戦争に心を痛め、世界平和を祈り続けている。同じ地に立っていなくても、身近で見聞きしていなくても、心を合わせることができる。そんなふうに思えるようになった。

 

余談:

2011年5月に撮った写真をChatGPTにイラストにしてもらった。当時アメリカでは震災の日本を応援するTシャツを着ようという動きがあり、わたしも2枚購入して着ていた。Tシャツ販売による収益金は日本に寄付された。

 

久しぶりの青空が嬉しくて

朝起きると、雲の合間に青空が見えた。昨日の豪雨によって道路冠水や土砂災害が起きた地域もあるので、被害にあった人々には申し訳ない気持ちになるが、久しぶりの青空が嬉しくて自転車をこぎ出す。

 

午前中はマシンピラティスのクラスがあるが、その前に荒川の土手をサイクリング。これだけ青空が広がっているのだから富士山が見えるかも?と期待して行ったが、残念なことに富士山は雲隠れ。でもほかの山並み(秩父や奥多摩方面)の青々とした影が見えた。

朝9時半を少し回っただけだが、もう陽射しが肌を刺すほど強い。土手の下の道沿いに立っている大木に生えているのは、サルノコシカケ?(とgoogle lensが主張しているけれど、合ってる?)

わたしの好きなシュウメイギクも咲いていた。可愛い。

図書館では、青空に夏のような暑さ⇒海という連想から、題名を見て2冊借りた。

マシンピラティスで気持ち良い汗を流した後は、別の方向へ自転車を走らす。行ったことのない公園が見えたので寄ってみる。

 

おや?この木、なんだか不思議。木の幹と幹の間から別の木が生えているように見えるけど?

接写してみた。こんなふうに大木の根元付近に別の木がめり込んでいるようにも見える。

別の角度で。木が別の木を包み込むように抱いているようだ。ラブラブな関係なのかしら。

こういう現象は何というのだろう?ご存じの方、教えてください。

 

空の低いところには白い雲が自由自在に形を変えて浮かんでいたが、真上を見ると青一色だった。